寺院運営への想い

袈裟

「仏教」と聞くと「スマホも電気もない2500年前の教えが、今を生きる自分にどう役立つのか?」と疑問に思う方もいるかもしれません。

確かに今とお釈迦様の時代(今から約2500年前)を比べると、私たちの周りの「環境」は大きく変化しました。しかし、「人」にスポットを当てるとどうでしょうか?

お釈迦様が説いた四苦(生老病死:この世に生まれ、やがては老いて、いつかは病に倒れて、最後を迎えるときが来る)があるのは、2500年前の人々も、今を生きる私たちも変わりがありません。

そして、八苦(愛別離苦:自分が大事に思う人もいつかは亡くなり別れのときが来る。 怨憎会苦:生きていれば誰しもが恨み憎む人と出会ってしまう。 求不得苦:自分がどれだけ欲して求めても得られないものがある。 五蘊盛苦:自身の身体や心であっても自分の思うとおりにはならない)も同様です。

「不易流行」という言葉が表すように、時代時代で新たな流行が生まれていく一方で、どれだけ時代が移り変わろうとも、お釈迦様の教え・時宗宗祖の一遍上人の教え・人間の本質は変わることがないと私は考えています。

ただ、法要や葬儀でお称えするお経は漢文で書かれており、そのまま聴いても内容を理解することが困難です。また、教えの本質は変わらないとしても、「日本仏教」にはインド発祥の仏教にはない独自の特徴(例えば、浄土の概念)があり、この点も「なんだか難しい」と思われる一つの要因と思います。

最後になりますが、お釈迦様や一遍上人の時代と今を生きる私たちの間には、言語や文化のギャップがあります。このギャップを埋めて一人でも多くの方に時宗の教えを理解して頂き、かつ、檀信徒さんの悩みに寄り添うことが私の使命と考え、副住職として寺院運営の一端を担って参ります。

西蔵寺副住職 鈴木貴法